場所 | 宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号 |
概要 | 平安時代、坂上田村麻呂は東夷征伐に際し、武運長久を記念すべく守護神である宇佐八幡宮を、現在の岩手県奥州市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀した。 その後室町時代、奥州探題大崎氏は現大崎氏田尻に遷祀したので、大崎八幡宮と呼ばれるようになり、その後仙台藩祖伊達正宗が居城の岩出山城内の小祠にご神体を遷し、仙台開府後現在の青葉区八幡に鎮座された。 御社殿造営にあたっては、桃山時代一流の工匠が京、大阪、和歌山などから招聘されその手になった、豪壮華麗な桃山建築の特色が遺憾なく発揮されている。 社殿は後の日光東照宮に繋がる型式である、権現造りの現存最古の建造物として桃山様式を代表する大変貴重な存在として昭和27年に御社殿全体が国宝に指定されている。 |
場所 | 宮城県仙台市若林区木ノ下3丁目8−1 |
完成 | 8世紀前半 |
概要 | 仙台市若林区木ノ下にある真言宗智山派の寺院で「護国山医王院国分寺」と号す。 本尊は薬師如来。 聖武天皇の発願によって建立された国分寺の一つで、奈良時代の740年代に創生された。 平安時代まで陸奥の国の財政的支持を受け大伽藍を維持したが後衰退。 伊達正宗により再興され、1607年に再建された薬師堂を中心に25坊を擁する大寺院として栄えた。伽藍の跡地は国の史跡に指定されている。 薬師堂、准胝観音堂、仁王門が現存する。 |
場所 | 宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目6−1 |
完成 | 1654年 |
概要 | 仙台市の北東に位置するこの丘陵は、玉手崎と呼ばれ遠く蒼海を望む風光明媚な場所で、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰途の折、この地で休息され、ご祭神ゆかりの地として鎮座地に選ばれたという。 2代藩主伊達忠宗工は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りする為、三代将軍徳川家光公に願い出て許しを得、慶安二年(1,649年)普請を開始した。 本殿、唐門、透塀、随身門、石鳥居が現存し国の重要文化財に指定されている。 諸国に良材を求め、一流の工匠達を起用し、当時としては大変珍しい七宝金具を使用した精巧な飾り金具や、金箔押しの彫刻で社殿を装飾し、屋根は銅瓦葺きを採用するなど、仙台藩総力を上げての大事業であり伊達文化の粋を結集したものであった。 |
場所 | 宮城県仙台市 青葉区霊屋下23-2 |
完成 | 1637年 |
概要 | 仙台藩祖伊達正宗は米沢城に生を受け、東北南部を中心に諸勢力を平定し、産業・経済文化の進興に努めました。瑞鳳殿は1,636年に70歳で生涯を閉じた正宗公の生前の遺命により経ヶ峰に造営された霊屋である。 桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築で昭和6年に国宝に指定され ましたが昭和20年に戦災にて焼失し、現在の建物は昭和54年に再建された。 同敷地内には二代藩主伊達忠宗公の「感仙殿」三代藩主伊達綱宗公の「善応殿」その他の御廟がある。 |
場所 | 宮城県白石市益岡町1-16 |
概要 | 伊達政宗の腹心、片倉小十郎景綱の居城として名高い白石城。 1995(平成7)年に天守の役割を果たしていた三階櫓、大手門などが木造で復元され、往時の姿を取り戻しました。 |
場所 | 宮城県大崎市岩出山上川原町6 |
完成 | 1677年頃 |
概要 | 伊達政宗は、天正19年(1591年)に米沢から岩手沢に居城を移し、岩手沢を岩出山と改めました。慶長6年(1601年)、さらに仙台城に移り、岩出山は政宗の4男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。 有備館は、江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で、伊達家当主が時折講義に臨むための場所であった「御改所」(主屋)とその附属屋が、現在までその姿を伝えています。有備館の建物(主屋)は、二代宗敏の隠居所として延宝5年(1677年)ころに建てられたとする説が有力です。その後、下屋敷・隠居所・学問所として使用されてきました。 庭園は、正徳5年(1715年)ころ、4代村泰の時代に整備されたと伝えられています。仙台藩茶道頭、石州流三代清水道竿の作庭で岩出山城本丸の断崖を借景として池中に島を配した廻遊式池泉庭園で、中には300年以上の樹木があり四季を通して緑や花などで庭の変化を楽しむことができます。 有備館及び庭園は、昭和8年(1933年)、国の史跡名勝の指定を受け、昭和45年に伊達家のご好意により、旧岩出山町へ移管されました。 |