承応3年(1654)伊達忠宗の創建で、本殿・唐門・透塀・随身門(楼門)・鳥居等からなっている。
本殿は桁行き3間・梁間2間、向拝をつけ、三方に廻縁をめぐらしている。屋根は入母屋造、銅瓦葺。棟の両端に千木・鰹木を載せる。和様を主とした建築で、正面および両脇間に桟唐戸を吊る。その銅板の辻金具に施された七宝技法にはみるべきものがある。内部は内陣・外陣とに別れ内陣は折上げ小組格天井、内陣には朱漆塗の須弥壇上に壮麗な家形厨子を置き、内部に徳川家康像が安置されている。
唐門は一間一戸、向唐門で、同じく銅瓦葺。扉上部に鳳凰の鳳凰の図柄霊獣麒麟の姿を浮き彫りにする。唐門の左・右に延びる透かし塀(玉垣)は連子窓を付け、腰壁には吹寄せ桟を襷状に配する。鳥居は忠宗婦人の郷里、備前の国の犬島の花崗岩でつくられた明神鳥居で、県下では最古である。
建築様式は本殿・唐門・拝殿を別棟に建て、拝殿背後に幣殿を突出したものである。本殿は欅の美材を用い、堅実成功な手法をもつ江戸時代初期の秀作である。拝殿は昭和10年消失したが、同39年に復興した。「造営承応三天甲三月十七日」の棟札がある。 |