我妻家は蔵王町の山村地帯にある古い由緒をもつ家で、蔵王町宮の白鳥明神の禰宜(神主の下、祝の上に位する神職)を勤めていたので禰宜屋敷とよばれている。また、かつて建物の全長が25間あったので「二十五けん」と呼ばれていたという。本屋は全長120尺(36.4m)にも及ぶ長大な建物で茅葺、寄棟屋根の前面の巨大な櫛形の破風が美しい。入口には棟門をもっている。
最近の復原修理の結果、居宅部は広間形の3間取となった。上手の別棟書院座敷(ひろま)は、表側の半分は壁に、半分は蔀に復原された。このときの墨書から主屋は宝暦3年(1753)、ひろまはやや遅れて付加されたものとみられている。台所庭には、屋根組を支える手斧削りの円柱6本が礎石の上に建っている。外観内部いずれにも江戸中期の豪農層の風格を残している。 |