陸奥国分寺薬師堂は、伊達政宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて再建したもので、慶長12年(1607)に竣工した。屋根は入母屋造、本瓦葺。法5間、向拝をつけ廻縁をまわす。妻飾りには素木造の簡潔・雄勁な構成美がみられる。内部は内陣と外陣とを峻別して、奥の須弥壇上に宮殿形の厨子が安置されている。厨子は巧緻な架構で、豊かな装飾により燦然たる光彩を放っている。
大崎八幡宮社殿とともに、仙台市における桃山建築の双璧である。「造立慶長十二年丁未十月廿四日」の棟札がある。
陸奥国分寺薬師堂仁王門は、建築年代は、慶長12年(1607)薬師堂造営と同時期とみられる。建物は単層、三間一戸、八脚門、本柱・支柱ともに円柱で、屋根は入母屋造、茅葺きである。木鼻類の彫刻は古式で、慶長時代の雄健な意匠が窺える。長い間、旧態を保持し続けた素朴な門であるが、屋根はたびたびの修理により、やや原形を失っている。 |